芳龍茶



御機嫌(ごきげん)

 始めて弟の家を見るお種には、草葺(わらぶき)の屋根の下もめずらしかった。お種はお雪に附いて、裏の畠(はたけ)の方まで見て廻って、復(ま)た三吉の居る部屋へ戻って来た。
「オオ、ほんに、柿の樹が有るそうな」とお種は身を曲(こご)めて、庭の隅(すみ)に垂下る枝ぶりを眺(なが)めながら、「嘉助がよく御厄介に成ったもんですから、帰って来てはその話サ――柿だの、李(すもも)だの、それから好い躑躅(つつじ)だのが植えてあるぞなしッて」
 庭には桜、石南花(しゃくなげ)なども有った。林檎(りんご)は軒先に近くて、その葉の影が部屋から外部(そと)を静かにして見せた。
 お雪は乳呑児を抱いて来た。「先刻(さっき)泣いたかと思うと、最早(もう)こんなに笑っています」
「ホ、御機嫌(ごきげん)が直ったそうな」とお種はアヤして見せて、「これは好い児だ」
「私共のようにこう多勢でも困りますけれど、貴方の許(ところ)でも御一人位……」
「どうも豊世には子供が無さそうですテ……」
「真実(ほんと)に、分けて進(あ)げたい位だ」と三吉が笑った。
「くれるなら貰うわい」とお種は串談(じょうだん)のように言って、「しかしこれは皆な持って生れて来るものだゲナ。持って生れて来ただけは産む……そういうように身体に具(そな)わっているものと見えるテ――授からん者は仕方ない」
「なにしろ、私のところなぞは書生ばかりで始めた家でしょう――」と三吉は言った。「菊ちゃんが出来て、私が房ちゃんを抱いて寝なければ成らない時分は、一番困りましたネ……どうしても母親でなけりゃ承知しない……寒い晩に、子供は泣通し……こんなに子供を育てるのは厄介なものかしらんと思って、実際私も泣きたい位でした」
「皆なそうして育って来たのだわい」
「よく書生時代には、男が家を持った為にヘコんで了(しま)うなんて、そんな意気地の無いことがあるもんか、と思いましたッけが――考えてみると、多くの人がヘコむ訳ですネ」
「お雪さん、貴方は今女中無しか」
「ええ、幸い好いのが見つかったかと思いましたら、養蚕をする間、親の方で帰してくれって」
「どうして、それじゃナカナカ骨が折れる」と言って、お種は家の内を眺め廻して、「しかし、お雪さん、私も御手伝いしますよ。今日からは貴方の家の人と思って下さいよ」
 何となくお種は興奮していて、時々自分で制(おさ)えよう制えようとするらしいところが有る。顔色もいくらか蒼(あお)ざめて見える。三吉は姉を休ませたいと思った。
「菊ちゃん、来うや」
 こう訛(なまり)のある、田舎娘らしい調子で言って、お房は妹と一緒に裏の方から入って来た。
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by ttkurtt | 2006-03-04 13:25
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